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ティムショールブログ

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シニアのトレーニング

人間誰しも歳を取れば、若い頃のように動けなくなります。

その時、ああ、もっと早く身体を鍛えておけば良かったと後悔する人が多いでしょう。

けれども、歳を重ねてから筋トレをやり始めても、コツコツ続ければ成功するのです。

 

現在在籍のシニアトレーニーは73歳の男性ともう少しで70歳の女性です。

このお2人は週に一回トレーニングを欠かさず当院に通ってきています。

男性は9ヶ月、女性は4ヶ月になります。

お2人とも凄い成果を上げています。逆に言えば、成果が出ていなければ、続けられなかったかもしれません。

 

トレーニングに通おうと思うきっかけは色々あると思います。

疲れやすくなった、孫と遊べない、年老いて見える、加齢臭が気になる、節々が痛い、動きが緩慢になった、声が出にくくなった等です。

この中に当てはまることがある方でも、これから頑張れれば楽しい未来があります。

けれども、諦めて怠れば、自分が辛いだけではなく、子どもや周りの人に迷惑をかけるかもしれません。

 

当院では加圧トレーニングやシニアトレーニングを推奨しているカイロプラクティック院です。

決して身体に負担がかかるようなトレーニングは行いません。

不調のある方は、カイロプラクティックやメタトロン、パールで整えながら、一人一人に合ったペースでトレーニングを進めていきます。

 

年だから仕方がない、と諦めないで下さい。

幾つになっても、トレーニングは始められます。

 

楽しみながら身体を鍛えて、

誰にも迷惑をかけず、自立した楽しい老後を送りましょう!

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お勧めの医療本

"量子波動器メタトロンのすべて"

医師、医学博士、医療法人会長。

メタトロンを使いこなして病気の根本原因を探り、それを除去することで根源的な治療を目指す三人の医師。

それぞれ専門分野は違いますが、最新の機器を用いて患者のために包括的な治療を施す、未来型医療の実践者です。

医療のトップランナーたちがメタトロンについて語っています。

 

メタトロンに興味がある方、メタトロンという名前を聞いたこともない方、是非この本をお読み下さい。

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キン肉マンへの道 Vol.6 最終回

  • マッチョだらけのジムに入って最初に、ベンチプレスを何キロ上がるか検査をしました。

 

弟も私もやっと25kgが上がる情けない男子でした。

 

そこからなんと、毎週2.5kgのウェイトアップをしていったのです。

1か月で10キロ、そして6か月が過ぎた頃、87.5kgが上げられるようになりました。

 

現在のように、超回復などの考え方はありませんでした。

毎日毎日ガンガン鍛え、そして肉、卵をたくさん食べることが必須でした。

当時はサプリメントのプロテインは普及していなく、少しはあったのですが、大変高価でした。

ですからとにかくモリモリ食べたのです。

その甲斐あって、どんどん身体が大きくなりました。

 

その時にお世話になったジムの塾長と3人のマッチョには、感謝感謝です。 

 

弟とライバル関係になっていたのも良かったと思います。

もう、ひょろひょろで、女子に可愛いと言われ続けた自分は居ませんでした。

 

 

その後、中学の友人に会うことがありましたが、間違いなく皆、あなたは誰?と言う顔をされたのを良く覚えています。

 

あれから40年、いまだに筋トレをしている自分を面白く感じます。

癌で入院中も辞めませんでした。

今後も、多分動けなくなるまで続けると思います。

なぜなら元気で、子供たちや周りの人に迷惑をかけたくないからです。

いや、いつまでもカッコ良くいたいからですね!

 

これまで"キン肉まんへの道"を読んでくださりありがとうございました。

 

さあ、皆さんも一緒にやってみましょう!

 

筋トレ最高!

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開業23年

 

皆様のおかげて23周年を迎えました。

 

昨日、ティムショールが誕生してから23年目の記念日でした。

 

1999年10月13日、このビルの8階の、今の半分の面積の部屋でティムショールは誕生したのです。

 

ゲルマニウム温浴、足つぼそしてメインのカイロプラクティックの三本柱でした。

 

大した宣伝もしなかったのに、あれよあれよという間にお客さんが増え、スタッフも雇い、その部屋では手狭になり、翌年の10月に今の2階に移動したのです。

 

それから22年の月日が経ちました。

思えば様々な出来事が起こりました。

 

この間にとても嬉しかったのは、スタッフ達が成長し、独立して行ったこと、私も学びながらメニューを増やしていけたこと、何よりありがたかったのは、たくさんのお客さんに支えられてきたこと。

 

私生活では、結婚して3人の息子に恵まれ、無事成人しました。

 

そしてまた、躓いたこともありました。

6年目に、なんと悪性リンパ腫のステージ4に罹患したのです。

 

ほとんど休みなく働いていた時で、このティムショール、そして家族の為にも今死ぬわけには行かない。

生きることは絶対に諦めないと決意しました。

そして、ティムショールを池島に全て任せて、自分は治療に専念しました。

 

入院中に、ステージ2で諦め亡くなった方もいました。

けれども私は、病院の中で、点滴スタンドを引きずりながら毎日5キロ歩いたり、点滴チューブが取れた隙に筋トレしました。

癌だから弱くなるのが嫌だったのです。

その甲斐あって、生還でき、また仕事に戻ることが出来ました。

 

闘病中、まだ若かった池島が、他のスタッフを引っ張って、ティムショールを支えてくれたことには、感謝の言葉しかありません。

 

その彼も独立した今、また初心に戻って、一人でじっくりとお客さんと向き合いたいと思うようになりました。

 

そして、新たにメタトロンやプロジェン3、パールM+を導入し、より一層皆さんが健康で生き生きと暮らせるお手伝いをするべく、日々努めております。

 

今後ともこのティムショールをよろしくお願いいたします!

 

 

 

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キン肉マンへの道 Vol.5

大学時代、遊びとアルバイトに忙しく、ふと気付くと四年生になり、卒業見込みをもらえないという状況に陥ってしまいました。

このピンチを乗り越えるため、一世一代のガリ勉をし、何とか単位を取って卒業。
そして無事、旅行代理店に就職できたのですが、思うところあって2年で退社したのです。

そして、6ヶ月間の失業保険をもらうことになった時、
"そうだ、ここで一念発起して身体を鍛え、長年のコンプレックスをなくそう"と決意しました。

家から歩いて3分のところに、小さなジムがありました。
およそ5.4m四方の9坪ぐらいの路面にある古びたトレーニング場でした。
10年前からあることは知っていたのですが、何しろ出入りする人たちがマッチョだらけで怖かったので、避けて通っていました。

その恐ろしげなジムに、大学生だった弟と二人、勇気を振り絞って足を踏み入れたのです。

まず入ると、一段高いところに、ゴッツイ白髪混じりの塾長が座っていました。

まず、頭を下げて挨拶をしたところ、「何をしに来たか」と問われ、緊張が走りました。
私は、「身体を鍛えにきました。」と塾長の目を見て答えました。
塾長に、「ここは本気の奴しか入れないんだけど、本気か?」と問われました。
弟と顔を見合わせ、2人でウッカリ「本気です!」と言ってしまったのです。

言った瞬間、3人のマッチョが呼ばれ、「今日から面倒見てやれ」と、塾長はほぼ命令調に告げました。

そして塾長に、その日から水曜日以外毎日必ずくるように言われ、弟と二人、真面目に通い始めました。

厳しい筋トレに耐え、自分で髪を洗うこともできない程の筋肉痛を抱えながら、頑張っていました。

2週間が過ぎようとした頃、朝から大雨が降っていました。筋肉痛もピークだったので、弟と今日は休んでしまおうと決めていました

ビックウェンズデイのベータ版ビデオを見ながらまったりとしてたところに、ピンポーンと呼び鈴が鳴りました。

誰だろうとスコープを覗いたらジムの2人が立っているのです。

「今日、来ないのですか、塾長が呼んでますよ」と2人。
「いや、今から行こうと思っていました」ととっさに答えた私たち

その時、自分達がとんでもない所に足を踏み入れてしまったと悟ったのです。

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キン肉マンへの道 Vol.4



頑張った甲斐あり、明治大学附属中野高校に入学することができました。

意気揚々と毎日を楽しく過ごしていた5月連休明けの頃でした。

訳もわからず”生意気だ”の一言で、同級生に顔を殴られて八重歯が上唇を貫通する事件がありました。

当時の私は、身長152cm体重45kgぐらいだったと思います
このままだと、理由もなくいじめられ続け、パシリになってしまうと絶望しました。
ところが、友達になったばかりのN君がぼくをガードしてくれていじめは無くなったのです。
N君のおかげで一難去ったのですが、これからは自分のことは自分で守らなければと身に染みました。

それからはたくさん食べて、身長は一気に伸びて3年の夏休み明けは169cmにまでなったのです。しかし縦に伸びただけで、ヒョロヒョロで体重は48kgでした。

その後、無事に明治大学農学部、今は無き農業経済学科に進学しました。

クラブ活動はレスリング部等の勧誘がありましたが、正式入部はせず、親友が在籍していた空手部に入部しましたが、真面目に練習せず、幽霊部員でした。

ここでもたくさん食べてヒョロヒョロを脱出したかったのですが、卒業までに4㎏の増量で52kg止まりでした。

その頃、女の子達によく言われたのが”可愛い”。
それがすごく嫌だったのです。
男なら、”カッコイイ"とか"逞しい”と言われたいですよね。

何とか"可愛い"を脱出して、カッコイイと言われるようになりたい!というのがその当時の悲願だったのです。

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