ティムショールブログ | カイロプラクティック、整体を中心に加圧トレーニングや肩こり・腰痛などのお悩みは平塚の当院にお気軽にご相談ください。

TimShore
  • 予約
  • 予約
  • 予約

ティムショールブログ

ティムショール トップへ >> ティムショールブログ

カイロプラクターへの道 その5


私には初めての経験で、そのバリバリバリ!!という音に驚愕、そして頭の中は混乱しました。

今の音は自分の首から出たのか、こんなことして、何で先生はニコニコしているのか、分からなかったからです。

数分経ち、少し頭の中が整理ができて、首の調子を確認できました

なんと、後頭部から背中に入っていた、あの憎々しい鉄板が段ボールくらいに変わったのです。

起き上がり、首を前に屈曲しても、吐き気を感じませんでした。

先生の目を見て、ウンウンと頷き、ニコニコ笑ったのを覚えています。


カイロプラクティックとは摩訶不思議、そしてこんな素晴らしいものなんだと思いました。

そして、今後の治療計画を相談することになりました。

この記事のページへ

ページトップへ


カイロプラクターへの道 その4

カイロプラクティックとの出会い

保険屋さんに勧められたカイロプラクティック。

当時、その名前すら世間に広まっていませんでした。どういう治療法なのかも全く分からず、何が何だかわからないまま、とにかく藁にもすがる思いで行ってみることにしました。
北茅ヶ崎に着き、公衆電話で連絡をし、場所を教えてもらいました
分かりにくい場所で、迷いながらやっと着いたと記憶しています。

(公衆電話、懐かしいですね。駅の側には必ずありました。スマホやグーグルマップなどはなかった時代ですから…)

そこは、看板はあるものの小さく目立たない治療院でした。大柄な先生に圧倒されながら診察室に入りました。診断書は届いていて、それでも補足の問診、検査に30分くらいかかったと思います。その後ベッドに寝かされ、首に手をかけられ、数分触られていたと思った瞬間、バリバリバリ!!っと凄い音が耳元で炸裂しました。何が起こったかわからない状態で先生を見上げると、ニコニコしています。
そして、"どうですか"と質問されました。

この記事のページへ

ページトップへ


カイロプラクターへの道 その3

 治療法を探し求めて

 

事故に遭った私の、特に酷かった症状は、首から背中にかけての痛みと苦痛でした。俯くたびに首の後ろの痛みと、吐き気が襲ってくるのです。まるで後頭部から背中にかけて50cmの鉄板が入っているかの様でした。

そして、手術を断って数日が過ぎた頃、保険屋さんの方から連絡があり、鍼灸の治療院に行くように勧められました。
手術しない療法に切り替えたかったので、喜んで承諾しました。
しかし、そこに2週間通っても、良くなる兆しが見えなかったのです。

その後、ホット鍼、足圧、マッサージ、柔整等次々と紹介されて通いました。
しかし、どれも私の症状には合わず、4ヶ月経っても少しも良くならず、途方に暮れていたのでした。

保険屋さんにも見放されそうになった時に、担当でない保険屋さんから、"カイロプラクティックに行ったら" と助言があったのでした。
今でこそ知らない人が居ないほど知れ渡っているカイロプラクティックですが、当時は殆どの人に知られていませんでした。
私自身、カイロは暖めて治す療法?くらいの知識でした。

どういう治療法なのか訳のわからないまま、藁にもすがる思いで茅ヶ崎の治療院に行くことに決めたのでした。

この記事のページへ

ページトップへ


カイロプラクターへの道 その2 

病院に運ばれて
 
バイクに乗っていて、車に衝突し、別の車の下に滑り込んむという大事故に遭ってしまった私です。
 
やっとのことで、車の下から引き摺り出してもらい、救急車に乗せられました。
 
救急隊員に、どこが痛いか聞かれ、
"全身が痛いですが、特に右脚が痛いです!"
即、隊員さんがカッターでブーツを切ってくれました。
その時私の履いていたのは、モトクロス用のブーツで、内側に鉄板が入っている物でした。
なんと、その鉄板が内側に折れ曲がって、脛にグッサリと刺さっていたのです。
今思えば、鉄板が無ければ脚の骨が折れていたのかもしれません。
けれども、酷い出血と痛みで気を失いそうでした。
そして、腰も首も激痛が走っていました。
 
病院に着いて診察を受けたところ、診断結果は、右脛骨にヒビ、重度の腰椎捻挫、重度の頚椎捻挫(むち打ち症)その他多数の打撲でした。
その晩は痛み止めを飲んでも痛くて眠れませんでした。
 
検査2日目のこと、頚椎に異常があるので、間隔を狭くする手術をすると言われました。
"そのような手術の前例はあるのですか?"と聞いたところ、
"あまりない"との返事です。
想像しただけで恐ろしい手術で、しかも前例もない・・・。
私は即その手術を断りました。
そして、自ら退院したのです。
 
それが、永くて厳しい完治への戦いの始まりでした。

この記事のページへ

ページトップへ


カイロプラクターへの道 その1.

交通事故

1986年7月7日七夕の日、私にとって転機になった、大事件が起こったのです。
それは、生死にかかわる交通事故でした。
私は、モトクロス用のオートバイに乗って、大磯の職場から辻堂の自宅に帰る途中のことでした。
湘南の海沿いの134号線で相模川に架かる湘南大橋の少し手前、某デニーズの駐車場から、突然確認せずにでできたワンボックス車にノーブレーキで衝突し、右折待ちの乗用車の下に滑り込んでしまったのです。
大音量の衝突音の後の静けさ…
気絶寸前の全身の激しい痛みの中、意識はあるし、手は動きます。
誰も声もかけてくれず、助けに来てくれない、その異様な静寂の中で、私はできるだけの大声で、「助けてー!」と叫びました。
その途端、たくさんの人が集まって来て、私を車の下から引っ張り出してくれました。
皆んな、私が死んでいると思っていたのです。

そして、生まれて初めての救急車に乗って、某市民病院に運び込まれました

この記事のページへ

ページトップへ


2022年 6月 2日 14:03 の記事

以前、加圧トレーニングルームだった部屋を最新機器メタトロンの部屋にリニューアルしました

 

 

  

 

窓辺には、観葉植物のサンセベリアとセロームホープが仲間入りしました。

 

ブラインドから差し込む光と植物の緑が清涼感を添えてくれます。

 

きっとリラックスしてメタトロンを受けていただけると思います。

 

 

もちろん加圧トレーニングの部屋も隣に残していますので、ご安心くださいね。

この記事のページへ

ページトップへ


最近の記事

月別アーカイブ