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キン肉マンへの道 Vol.5

大学時代、遊びとアルバイトに忙しく、ふと気付くと四年生になり、卒業見込みをもらえないという状況に陥ってしまいました。

このピンチを乗り越えるため、一世一代のガリ勉をし、何とか単位を取って卒業。
そして無事、旅行代理店に就職できたのですが、思うところあって2年で退社したのです。

そして、6ヶ月間の失業保険をもらうことになった時、
"そうだ、ここで一念発起して身体を鍛え、長年のコンプレックスをなくそう"と決意しました。

家から歩いて3分のところに、小さなジムがありました。
およそ5.4m四方の9坪ぐらいの路面にある古びたトレーニング場でした。
10年前からあることは知っていたのですが、何しろ出入りする人たちがマッチョだらけで怖かったので、避けて通っていました。

その恐ろしげなジムに、大学生だった弟と二人、勇気を振り絞って足を踏み入れたのです。

まず入ると、一段高いところに、ゴッツイ白髪混じりの塾長が座っていました。

まず、頭を下げて挨拶をしたところ、「何をしに来たか」と問われ、緊張が走りました。
私は、「身体を鍛えにきました。」と塾長の目を見て答えました。
塾長に、「ここは本気の奴しか入れないんだけど、本気か?」と問われました。
弟と顔を見合わせ、2人でウッカリ「本気です!」と言ってしまったのです。

言った瞬間、3人のマッチョが呼ばれ、「今日から面倒見てやれ」と、塾長はほぼ命令調に告げました。

そして塾長に、その日から水曜日以外毎日必ずくるように言われ、弟と二人、真面目に通い始めました。

厳しい筋トレに耐え、自分で髪を洗うこともできない程の筋肉痛を抱えながら、頑張っていました。

2週間が過ぎようとした頃、朝から大雨が降っていました。筋肉痛もピークだったので、弟と今日は休んでしまおうと決めていました

ビックウェンズデイのベータ版ビデオを見ながらまったりとしてたところに、ピンポーンと呼び鈴が鳴りました。

誰だろうとスコープを覗いたらジムの2人が立っているのです。

「今日、来ないのですか、塾長が呼んでますよ」と2人。
「いや、今から行こうと思っていました」ととっさに答えた私たち

その時、自分達がとんでもない所に足を踏み入れてしまったと悟ったのです。

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キン肉マンへの道 Vol.4



頑張った甲斐あり、明治大学附属中野高校に入学することができました。

意気揚々と毎日を楽しく過ごしていた5月連休明けの頃でした。

訳もわからず”生意気だ”の一言で、同級生に顔を殴られて八重歯が上唇を貫通する事件がありました。

当時の私は、身長152cm体重45kgぐらいだったと思います
このままだと、理由もなくいじめられ続け、パシリになってしまうと絶望しました。
ところが、友達になったばかりのN君がぼくをガードしてくれていじめは無くなったのです。
N君のおかげで一難去ったのですが、これからは自分のことは自分で守らなければと身に染みました。

それからはたくさん食べて、身長は一気に伸びて3年の夏休み明けは169cmにまでなったのです。しかし縦に伸びただけで、ヒョロヒョロで体重は48kgでした。

その後、無事に明治大学農学部、今は無き農業経済学科に進学しました。

クラブ活動はレスリング部等の勧誘がありましたが、正式入部はせず、親友が在籍していた空手部に入部しましたが、真面目に練習せず、幽霊部員でした。

ここでもたくさん食べてヒョロヒョロを脱出したかったのですが、卒業までに4㎏の増量で52kg止まりでした。

その頃、女の子達によく言われたのが”可愛い”。
それがすごく嫌だったのです。
男なら、”カッコイイ"とか"逞しい”と言われたいですよね。

何とか"可愛い"を脱出して、カッコイイと言われるようになりたい!というのがその当時の悲願だったのです。

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ビニールを突き破ったサツマイモの芽

2022年2月の下旬に台所で気が付かないうちに芽をはやしていサツマイモを発見!!

このままではいけないと思い自宅のプランターに植えました。

そして、5か月経過後がこんなに勢いよく育っています。

来月の下旬に収穫したいと思います。

 

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平塚南口 海の讃歌 人魚像

私の住んでいる、平塚駅南口にある人魚像です。

真夏の暑い日は少し涼しげになるので、助かっています。

以下、タウンレポートからの抜粋です。

人魚像は1963年3月、「青年のあこがれのシンボルが躍進途上の平塚市にふさわしい」として、当初は平塚駅北口ロータリーに建てられた。彫刻は文化勲章受章者で熱海市名誉市民の澤田政廣(せいこう)氏が制作し、当時の戸川貞雄市長が『海の讃歌』と命名した。

 当時、人魚像は平塚駅利用者がロータリーに降り立った時に顔が見えるよう南を向いており、線路を隔てた海の方向を見つめていたという。しかし70年5月、駅広場中央地下道開通に伴い現在の南口駅前に移転。駅利用者の方向を向かせると、自ずと海に背を向けるかたちになった。

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キン肉マンへの道 Vol.3

中学時代Vol.3

 

中学二年生の時に父が亡くなり、辛い日々の中、いっそ中卒で就職してしまおうかと思いました。

受験まで後一年と2ヶ月、悩んでいる時に、母からどうしても高校だけは卒業しろと懇願されました。

そこでやっと少し頑張るかという前向きな気持ちになりました。

 

しかし、それまで投げやりな気持ちで毎日を過ごしていたので、真面目に勉強もせず、中学の先生に反抗的な態度を取っていました。

そのせいで内申点が低く、都立高校だと希望する高校には点数が足りなかったのです。

とは言え、私立学校だと母の負担が増えるのを懸念していました。

ところが母から、好きなところへ行っていいと言われ、行きたかった明大中野高校を目指すことにしました。

一気にモチベーションが上がったのはいうまでもありません。

 

けれども、自分で勉強する習慣もついておらず、良い塾も見つけられず困っていました。

 

いよいよ受験日が迫って来た1月4日に、偶然、良い塾の先生を友達に紹介されたのです。

先生から勉強方を教えてもらい、励まされ、そこから頑張ることが出来ました。

そして運良く志望校に入学できたのです。

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キン肉マンへの道 Vol.2

中学時代Vol.2

 

持病の喘息も良くなり、水泳部の練習に精を出し、タイムも伸びてきて、来年の大会を楽しみにして陸トレも頑張っていた10月の初めことでした。

 

突然、母から東京に引っ越すからと言われたのです。生まれてからずっと暮らして来た湘南辻堂を離れて、東京に行くだなんて、絶対に嫌でした。

弟と話しても不安でならない、友達に相談しても、何で?何で?と晴天の霹靂でした。

 

しかし、いくら弟と二人で東京には行きたくない、と訴えても聞き入れて貰えず、泣く泣く辻堂に別れを告げたのでした。

 

そして東京に

 

今では、話の語尾に”ジャン””ダベ” など東京でも良く使う言葉になりましたが、当時は東京のクラスメイトは誰も知らない言葉で、ドン引きされました。

そして転校1日目から(イナ)というあだ名がついてしまいました

この意味は何と、田舎っぺのイナということで、この不名誉なあだ名は1年間続きました。

 

そして、もう一つショックなことがありました。

辻堂で頑張った水泳を、転校先でも頑張ろうとしていたのですが、なんとその中学には水泳部がなかったのです。

 

更に大きな不幸が襲ってきました。

翌年の12月に、闘病していた父が他界したのです。

 

その後母から伝えられたことは、父は末期癌でしたが、仕事人間だったので、せめて最後まで仕事をさせてあげたい、その為に東京の父の会社のそばに引っ越して、少しでも楽に通勤させてあげたかったとのことでした。

 

病名を私たち子供に告げたら、いつポロッと口が滑ってしまうかもと思い、言わなかったそうです。

 

父は、長男の私には特に厳しく、よく拳骨を食らいましたが、どんなに叱られても私は父が大好きで、永遠のヒーローでした。

 

私の胸の中にはぽっかりと穴が開き、悲しくて悲しくて死んでしまいたいとまで思い詰めました。

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キン肉マンへの道 Vol.1

誕生から小学校卒業まで

 

1957年7月1日に神奈川県藤沢市に3950gの大きな男の子が誕生しました。

その子、つまり私は、その後スクスクと育ち、保育園で一番身体が大きな健康優良児となりました。

いたずらっ子だった私は、勝手に保育園から脱走して、隣の空き地で遊んでいる所を先生に見つかって連れ戻されたという逸話があります。

その先生は、後に園長先生となり、私が寿司屋をやっていた時に(サラリーマン、寿司屋、その後カイロプラクターとなりました)食べに来て下さいました。

その時言われた言葉が、"まさか寿司屋になるとは思わなかった!" でした。

 

その後小学校に入学した時も、クラスの中でも圧倒的に背が高く、他の子を見下ろし、なんだか威張っているような子だったと記憶しています。

そして相変わらずいたずらっ子で、あまりに授業中落ち着きがないので、先生に椅子に縛られたこともありました。

それでも椅子ごと動いていたら、先生が遂に諦めて、何も言わなくなり、そうなるとこちらもつまらなくなり、大人しく授業を聞くようになりました。

 

そして3年生になると、急に他の子達に身長を追い越され始めました。

あれよあれよという間に、周りがどんどん大きくなり、

4年生の時は何とクラスで一番のチビに。整列する時一番前で腰に手を当てる立場にまで転落してしまったのでした。

 

その後、著しい成長もなく(密かに期待していたのですが)身長の伸びはずっと停滞したまま。整列する時には一番前から後ろに下がることはありませんでした。

 

そして中学生に上がる頃は、まだ140cmに満たない小さな男の子でした。

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高齢者トレーニング

奥さんに、「最近、ジジ臭くなってきた」と言われた73歳の男性から、どうにかならないかと相談を受けました。
私は、"加圧トレーニングをやりましょう!" と即答しました。

この方は、2014年からカイロプラクティックで通って下さっています。
奥さんの一言で奮起して、2022年1月22日より、併せて加圧トレーニングも始められました。

それから7か月、お宅からここまで、片道約1時間かかるのに、毎週休まず通われています。
その甲斐があって、どんどん筋肉が付いてきました。

最初はベンチプレスの20キロをあげるのがやっとだっだのですが、来週は45キロに挑戦です。

因みに、7月は42.5キロを成功させています。

つまり、1か月に2.5キロ前後重さを増やしていくのに成功しています。

これは、若い人でも大変なのです。
それなのに、高齢の人でも目標を持って臨めば、こんなに凄いことができてしまうのです。

筋肉が付いてくると、立ち姿もぐっと若返ります。
もう、奥さんに、ジジ臭い、とは言われないでしょう。

同じような悩みをお持ちの方、無理のないように丁寧に指導をしているので、一度相談に来られてみませんか。

他にも、ダイエットの効果はもちろんのこと、趣味(例えば、クラシックバレエ、タップダンス、キックボクシング、ゴルフ、サッカー等)のパフォーマンスを上げるのにもお役に立てると思います。

実際に、それらのパフォーマンス上げるために通われている方が多くいらっしゃいます。

正しい方法で効率よく身体を鍛えて、いつまでも若々しく、生き生きと毎日を過ごしませんか?

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カイロプラクターへの道 その12   最終回

廃業と転機

 

辻堂に開いた寿司屋が、息つく暇もないくらい繁盛している間も、休みの日には、自分の怪我を治してくれた先生の診療所に通い続けていました。

その先生の治療のやり方をずっと見て学び、その内に家族、友人の肩凝りなどは治せるくらいになっていました。

 

寿司屋を開店してから8、9年経った頃、回転寿司が流行り始め、周りの寿司屋がどんどん潰れていったのです。

そして、本物の明石の蛸よりも輸入の柔らかい歯応えのない蛸を美味しいという若い人達を見て、寿司屋としての未来に希望が持てなくなっていました。

 

そして、ずっと興味があったカイロプラクターへの転機の時期が来たと思いました。

 

まず短期で卒業できるカイロプラクティックの学校を卒業しました

そして同期3人と一緒に、開業している治療院を4店見学させてもらいました。どこも自分の考えていたのとかけ離れて素晴らしく、今の自分には無理だと一旦諦めました。

 

しかしその後、その先輩方が卒業した学校を紹介してもらい、一念発起し勉強し直そうと決意しました。

 

とは言え、妻と三人の息子を養わなければなりません。そこで会社勤めをしながら、日本カイロプラクティックドクター専門学校に通い、卒業したのです。

 

その後、新横浜に開業するまでに、さほど時間はかかりませんでした。

何故なら、寿司屋をやりながらも、自分の怪我を治してくれた先生の元でずっと勉強させてもらっていたからです。

この先生は、二重の意味で私の恩人となりました。

 

さて、私が何故カイロプラクターになったかを皆様に知っていただくため、簡単に説明しようと書き始めたのが、思いがけず長い物語となってしまいました。

これまで読んで下さってありがとうございます。

 

これまで紆余曲折してきましたが、どれも無駄な経験はなかったなと改めて思いました。

そして、自分が助けられたこのカイロプラクティックで、多くの人々を助けていきたいと心に誓ったあの頃を思い出し、気持ちを新たに頑張ります。

 

これからもよろしくお願いいたします!

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74歳男性トレーニー 続編

以前に一度紹介した方です。

奥さんに最近、ジジ臭くなってきたと言われ奮起した男性が2022年1月22日から

加圧トレーニングを始めました。

カイロプラクティックは2014年から通ってきていたのですが、上記の一言でどうにかならないかと相談されたので、

加圧トレーニングを勧めたのです。

それから13か月、毎週1回ティムショールでトレーニングをしています。

その方は、片道約1時間かかるので大変だと思いますが、やっているから筋肉の付きも良いのです。

最初はベンチプレスの20キロがやっとだっだのですが、来週は52.5キロに挑戦です。

因みに、1月は50キロを成功させています。

1か月に2.5キロ前後の成長をしている感じでしたが、ウエイトが重くなるにつれ成長が少しずつ減ってきました。

が、凄いですね。

これは、若い人でも大変なのに高齢の人でも目標を持って臨めば、こんなに凄いことができてしまうのです。

こんな指導をしているので、一度相談してみませんか。

ダイエットや趣味のパフォーマンスを上げるのにもお役に立てると思います。

現在趣味のパフォーマンス上げるために通われている種目は、クラシックバレー、ラテンダンス、タップダンス、キックボクシング、

サッカー、ソシアルダンス等です。

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